数学を教育する先生は、こう教えるべきだ…というポリシーというか、べき論を持っている人がそれなりにいて、提唱する先生とその教え子に限定するとあっていることが多いんですが、他で当てはまるかどうかは別ということがよくあります。
今日は数学を例に交えながら、そんなお話をしたいと思います。
数学を例にと言いながら、突然、心理学のお話になるんですが…。
心理学の理論に、適性処遇交互作用(ATI;aptitude treatment interaction)というものと最近接発達領域(ZPD;Zone of proximal development)というものがあります。
適性処遇交互作用は、心理学を学んだ人ならよく知っているクロンバックが提唱した概念で
『学習者の学力や性格の特性、学習スタイルなどの「適性」の違いによって、教え方や学習方法、内容、教材などの「処遇」の効果が異なる』
という概念です。要は『学習方法や内容が学習者の適性とマッチしたときに、学習の効果が最大限に発揮される』という言われてみれば至極当たり前の概念です。裏を返すと万人にマッチする方法はありませんってことになります。
最近接発達領域(以前は「発達の最近接領域」と言われていた)は、ヴィゴツキーが提唱した概念で
『「学習者が今のところは、自力でうまくできないけど、助けが少しあればできるようになる」手の届きそうな学びの領域』を表す概念です。
たとえば、学習者がまだ一人では解けない数学の問題があったとして、先生や講師が数学のヒントを出したりすることで、(学習者が学んで)やがては一人でも解けるようになる…ということがよくありますよね。
この「一人じゃできないけど、アドバイスがあればできる…あと一歩のライン」が「最近接発達領域」です。
要は、現在の実力と、適切なアドバイスがあるとできるようになる潜在的な実力との間にある「伸びしろ」です。
これらの概念から分かることは、学習者によって適切な学び方がある(適性処遇交互作用)し、どんなに正しくて効果のある(可能性が高い)勉強法であったとしても、理解できないもの(最近接発達領域の外の領域)には効果がないってことになります。
恐ろしくド直球で当たり前のことを言ってますが、このド直球の当たり前を「正しさ」という名の正義を人質にして反論してくる方々がいるんです。ええ、数学の先生(任意じゃなくて、ある一部です)って人種です。「勉強はみんなこうじゃなきゃダメ」って言いたがる数学の先生っているでしょ。そんな先生
で、最終的に生徒は先生との関係を壊さないがために(利益相反)、適性処遇交互作用を無視した最近接発達領域の外にある無謀な勉強を始めて、結果が出ずに心がボキボキに折れて、学習性無力感(*)にたどり着くわけです。
そしてトラウマついでにこう呟くようになります
「私は文系なので数学ができません」って
だから、数学の先生の中に「数学の勉強法はこうじゃなきゃダメだ」という発言をされている人がいて、その方法にしっくりこない生徒がいたら適性処遇交互作用と最近接発達領域を教えてあげてください。
みんなに通じる効果的な教育なんてものは存在しない…。それは幻想だと…。
* 学習性無力感は、セリグマンが提唱した概念で、何度頑張っても問題がうまく解決できない経験が続くと「どうせ頑張ってもムダだ」という気持ちが強くなり、最終的にはできることすら努力しなくなってしまう心理状態のことです。
たとえば、ある生徒が、計算問題や方程式の解法に一生懸命取り組んでも、正解ができず、テストも続けて赤点を取ってていたとします。先生や友達に聞いても、うまく理解できず、何度やっても失敗しまくる経験が積み重なると「自分は数学ができない人間だ」「もう何をやっても無駄だ」と感じるようになります。
このような状態になると、簡単な数学の問題を出されたとしても、最初からあきらめてしまい、全く取り組もうとしなくなってしまうのが学習性無力感の一例です。
適性処遇交互作用と最近接発達領域を生成AIに作ってもらったらパンチの強い図を生成してくれました。
生成AIの回答にどうこうモノを申す人っていますが、こういう図って私は中々思いつかないので、いつも発見があります。