近年、「科学的根拠のある勉強法」と称されるメソッドとしてアクティブリコールやインターリーピングなどを度々耳にするようになりました。これらの方法は、脳科学や認知心理学の研究を背景に持つので、一見すると学習効率を劇的に高められるように思いますが、それらのメソッドで本当に結果が出るのかは十分な検討が必要です。
あ「これらの方法ってうまく行かないんだよね」って言うのが主旨じゃなくて、過度な期待をすると火傷しますよ…ってお話です。
まず、考えて欲しいんです。そんなに結果の出るメソッドなら、なんで今更になって流行っているの?ってことを…。結果の出るメソッドなんて、ほっておいても毎年求めている人が必ずいて、その方達がまさか「アクティブリコール」や「インターリーピング」だけを見つけられなかった…なんてわけはありません。ちゃんと結果の出るメソッド探しに精を出している過程で「アクティブリコール」や「インターリーピング」も見つけたはずなんです。というのも「アクティブリコール」や「インターリーピング」なんてビジネス書の世界ですら10年くらい前から知られていた事実だからです。きっとメソッド探検隊の方なら、例えばビジネス書の『脳が認める勉強法――「学習の科学」が明かす驚きの真実!』(ダイヤモンド社)を手に取って実践に励んだはずです。
注)この本は海外の翻訳本で、海外のビジネス本特有のスーパー冗長なストーリー(
言葉遣いが荒い注)があります。…あと翻訳が少し突っかかります。私には合わない日本語表現でした。でも今日の日本では「アクティブリコール」や「インターリーピング」を使っている人は一部で、ほとんどは使っていないですよね。なんでかわかりますか?
そんなの決まっているでしょ。成果が出なかったから。そして(成果が出なかったから)、また違うメソッド探しの旅に出たわけです。まさに「チルチル・ミチル、幸せの青い鳥」。私はその人たちを(敬意を込めて)「ベネフィット子ちゃん」って呼ぶことにしています。本当に「アクティブリコール」や「インターリーピング」で結果が出るならベネフィット迷子ちゃんなんて生まれていないはずなんですよ。で、なんで成果が(あまり)出ないのかって書くと…効果がないんじゃなくて、続かないんです。
アクティブリコールは「積極的な思い出し」を通じて記憶を定着させるメソッドで、まぁ有用だって言いたいことは分かりますし、本当に「できたら」成果はでるんでしょう…きっと。でもね、思い出しに大きなストレス(負荷)がかかるので、耐えられないってのが残酷な真実です。成果が出る出ない以前に、やりきれないんですよ。あと、「ストレスがかかる勉強法が効果的」なんて、大学受験生でも言えそうな当たり前の話で「それができなくて困っている」のに「それをやりなさい」って無理な相談でしょう。ただの「堂々巡り」をしているように思います。
先ほどアクティブリコールを「積極的な思い出し」って紹介しましたが、要は「考えて、思い出せ」って話しですよね。「考えなさい・考えなさい」ってストレスをかけられて、耐えきれなくて世の受験生は「数学」から逃げて文系に行くんでしょう。だから、それ(=「積極的な思い出し」)ができないんです。「できなくて(数学から)逃げたメソッドをやりなさい」ってできますか?仮にそれができるんなら、数学なんて簡単にできますやんって話です。
まずは「青チャート6冊を一気に暗記して、アクティブリコールしましょう」ってできるか、そんなこと。それができたら1年で東大にいけるわ。
あと、アクティブリコールって「積極的な」とか「能動的な」って無駄に余計な形容詞がついているので気づかない人もいますが、要は「記憶」法です。記憶っていろんな方法が提唱されていますけど、所詮「消費期限」を「賞味期限」に変えるだけで「思い出せる期限」の延命治療でしかないんです。それに「科学的」って冗長な形容詞を付けていますが、暗記に「全振り」した時点で、学問は大概うまく行きません。頭で覚えたものは忘れるんです。それが通用する分野がないとはいいませんが、通用するのは限定的だってことを知っておいた方がいいです。
インターリーピングも同様で「異なる科目やスキルを交互に学び、脳内で混合処理を行うことで深い理解を促す」ってことですが、それがちゃんとできる人はインターリーピング以前に効果的な勉強ができている人ですって。
断言しましょう。それができたら、大学受験は東大の数学の問題も京大の数学の問題も難なく解けるようになります。
多くの人は、複数の科目を学習する過程で、複数の内容が干渉し合い(記憶の干渉)、自爆します。で、全然、知識が定着しない無様な自分をみて絶望するだけです。カタカナ用語を使って知的感を醸し出していますが、結果が出てるならすでにみんな使ってます。
これらのメソッドは確かに研究論文などで効果が報告されてはいるものの、そこには「取り扱い注意事項」っていうものがあって、それが前提条件なんです。これらの科学的な結果の多くは実験室条件下での限定的な成果であり、実際の学習現場で研究結果のような「劇的な効用」が起こらなかったってことも多々あります。あとは再現性ですね。本来「科学的」なものには再現性が担保されているはずですが、いろんな条件をくっつけたことによって再現性が有耶無耶になっているものもあったりします。
さらに、学習者がこれらのメソッドに頼ると、自身の学び方や思考のプロセスをその場限りの「メソッド」に委ねがちになります。つまり、メソッドばかりを追い求めると、内発的動機や主体的な探索心という一番大切なものがガン無視されるんです。
というか、こんなメソッドに頼らなくはいけない学問なんて長続きしないから、そもそもやらないって選択肢を選んでは?
(言葉遣いが荒い注)
「日本語の文章は結論が後、英語の文章は結論が先」って(大学受験生のとき)英語の授業で複数の先生から習ったけど、あれって嘘だったの?。というか、この嘘つきテンプレ「日本語の文章は結論が後、英語の文章は結論が先」を拡散させた震源地はどこのどいつよ?
英語のビジネス書を読んでみろ!酷いものになると誰だか分からん外人(←著者のこと)による「謎すぎる成功ドラマチックストーリー」と「誇張されすぎて泡を拭きそうになる自慢」のみで章が終わるぞ。散々前置きを書き散らしておいて、メソッドは「腕立て1回からはじめよ」だけで200ページ以上もある書籍って「どんな世界線」だよ。日本のビジネス書の方が、まともに結論が書かれてあるぞコノヤロー【もどる】