(大学受験までに限定しますが…)数学が得意な人と苦手な人の違いって「公式」に捉え方にあると思っているんです。
あ、ちなみに「大学受験まで限定」って書いたのには訳がありまして…
それは大学受験までは「数学が得意だと思っている人」って、学校の定期テストで得点が高いとか予備校の模擬試験で偏差値が高い「だけ」の人が多い…と思うからです。本当は、昔の私みたいに模擬試験の偏差値が「だけ」が高いだけで、「数学をよくわかっていないくせ」に得意と信じて疑わない人って多いと思うんですよね(注)。私なんかはそれで壮絶な、いや世紀の勘違いをして大学の数学科を選んじゃって爆死した口ですが、そういう人も「(大学受験までは)数学が得意な人」とします。要は「壮大な勘違い」をしていても、本人が得意と思ったら得意とします。
注:今の私は「数学の偏差値すら高くない」可能性がある。
で、話を戻して、数学が得意な人と苦手な人の間にある「公式」の捉え方の違いって①「公式を導きながら使う」と②「公式を使うだけ」の違いで、もう少し詳しく書くと
①公式を丸暗記「せず」、公式を導く過程を「理解」して、その成立過程を辿るように計算して答えを導く
②公式を丸暗記「して」、「意味もわからず公式にある変数に数値を当てはめて」答えに辿り着く
この2つの違いだと思うんです。なお、数学教育の文脈では①を関係的理解、②を用具的理解といいます。
①と②でMECEではありませんが、大まかな区分けです。
MECE(Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive):「モレなく・ダブりなく」のことで「相互に排他的な項目」による「完全な全体集合」の意味
なんでこんなこと、この時期に思ったのか?って言うと、(文系)学生の答案分析をしていて「公式暗記→当てはめ」で解こうとして失敗しているケースを多々見るからです。
これは「暗記」した公式が「賞味期限切れ」になって「曖昧」となり、「公式自身を間違えている場合」や「当てはめる文字を間違えてしまっている場合」、もしくはその両方が起こった現象なんですが、よく見るんですよね。
私の人生はいつも文系学生の指導だったりするんですが、文系学生って「意味なき丸暗記」で高い偏差値を獲得して、それが成功体験になっている学生が少なくなくて、「勉強」を「意味なき丸暗記」の「我慢大会」に全振りしちゃったりするんですよね。
なので暗記法には、理系出身の私には到底理解できないほどこだわりがあったりします。最近は「科学的根拠のある勉強法」と称したものが世間では流行っていて安易に飛びつく人を見かけますが、大体は結論「暗記法」なんですよね。要は「勉強法」を「記憶術」に「全振りしている」しちゃっている。
ちなみに世間で流行っている「科学的根拠のある勉強法」って①と②のどっちだと思います?
①「数学の公式を理解して導くように使う」②「数学の公式を意味を理解せず丸暗記して当てはめる」
①だと思いました? 違うんです…②です。
②のように意味もわからず覚えて「思い出す時にうんうん唸って」思い出そうとすれば効率が「ちょっと」あがりまっせ…っていうのが科学的と称する勉強法の1つである「アクティブ・リコール」です。「アクティブ・リコール」ってたいそうな横文字になっているので「すごそう」って思いそうですが、要は暗記法です。重要だからもう一度言いますね「アクティブ・リコールは暗記法です」。
数学界隈の人から見たら「1ミクロンも科学的じゃない」って言われそうですが、メソッドの有無で有意差が出て関連の学会で論文がアクセプトされたら「科学的」っていうのが世間ってもんです。
アクティブ・リコールって聞いて「これってもしや、私を救う一発逆転の勉強法!」と「ときめいて」しまう住民は、ただの「栄養ドリンク」じゃ効かないからって言って「タウリン1000mg配合」と書かれた「栄養ドリンク」を飲んで「オラ、ワクワクすっぞ」って言っている住民と大差ありません(参考:ジンクピリチオン効果)。
メソッド名前がかっこよかろうが、所詮暗記。「理解を」あきらめたらそこで試合終了なんですよ。
もちろん数学にはいっさい暗記がない…なんてスーパー極論を言うつもりはありませんが、数学は暗記に全振りしたら、敗北なんですよ。