ここ数日、三角関数が話題になっていますね。

振り返ると、これだけ三角関数が話題になったのは
私が大学受験生だった(20年以上前)とき以来ではないかと思います。

私が大学受験生だった頃、三角関数にまつわる話題は大きく2つありました。
1つは私が高校2年生だったとき(1998年)のセンター試験Ⅱ・Bで、
cosθの合成が出題されたときです。

当時の受験生(私の1学年上の代)はcosθの合成がことごとくできず、
結果平均点は過去最低(41.38)となりました。
この平均点の低さは未だに破られてなかったはずです。
(参考:今年の共通テストの数学Ⅱ・Bの平均点 43.06 より低い)

センター試験Ⅱ・Bのcosθの合成が出題されてから
「数学の勉強はパターンじゃだめだ、本質が大事だ」…と叫ばれ始めました。

…で、実際どうだったのかと言うと、
それまでの教え方とほとんど変わらず、変わった点は
「三角関数の合成は、加法定理の逆です」
という言葉が授業で付け加えられたくらい…。
本質が大事、定義が大事…と言われながら、
多くは本質的な授業なんてされていませんでした(と推測します)。

中には10年に1回くらいしか出題されないcosθの合成を
「わざわざ」公式として教える強者の先生も現れて、
(その先生の授業を聞きながら)泡吹いて倒れそうになった記憶があります。

なお(蛇足ですが…)その先生は今も某予備校で
「本質を教える」人気講師として活躍し、単価ゼミも持たれています。
どうやらcosθの合成を公式として教えると■を超えられるらしいです。

話は戻して…このような教育情勢をつぶさに見ている大学があります。

それが東京大学です。

大学受験の問題は、受験生に対するメッセージが問題に込められていますが、
東京大学はそれのみならず教育現場に一石を投じる問題を
節目・節目に出題していると「私」は感じます。

1998年のセンター試験Ⅱ・Bの三角関数の問題が出題された後
「数学の勉強にパターンはダメ、本質が大事」と叫ばれましたが、
実際は叫ばれただけで、ほどんど何も変わりませんでした。
そこを東京大学は次の問題で突いてきました。

(1)一般角θに対して、sinθ、cosθの定義を述べよ。

(2)(1)で述べた定義にもとづき、一般角α、βに対して

sin(α+β)=sinα cosβ+cosα sinβ
cos(α+β)=cosα cosβ-sinα sinβ

を証明せよ。(出典:1999年の東京大学の第1問目)

どの教科書にも掲載されている三角関数の定義と加法定理の証明に関する問題です。
この基本的な問題を、ド・ストレートに東京大学は聞いてきたのです。
「本当に本質的な学習がなされているのか?」…と。

結果はどうだったか
詳細は分かりませんが、散々たるものだったことは推測できます。
巷の情報では、完答したのは1割程度だった…とも。

つまり、東京大学を受験する偏差値70越えの頭脳集団が、
教科書にある基本的な問題を解けなかったのです。
当時は、この三角関数の問題でもちきりでした。

当時の東京大学受験生には飛んだ災難だったのかもしれませんが…
東京大学が「三角関数の問題」を出題したおかげで、
定義や定理の証明を学校・予備校・塾の先生がみっちりやるようになりました。

大学受験の学習で定義の意味や、定理の証明をたっぷりできたので
私は留年率が高いと言われる大学に在籍していながらも
何とかストレートで大学を卒業できたと思っています。

ある意味、今の私があるのは
「三角関数のおかげ」
と言っても過言ではないわけです。

そう思うと数学との向き合い方、学び方に一石を投じる出題をする
東京大学のスタンスには敬意を表します。

そんな三角関数ですが20年という時を経て「不要論で」再び話題になりました。
それ以外では、大学入試共通テストの数学も大きな話題を呼びました。
共通テストに関しては、私に(PHPさんから)取材依頼が来るほどで、
今年(2022年)ほど、高校の数学で話題になった年がないのではないかと思うほどです。

そして、このような教育情勢のときこそ
東京大学は何かを仕掛けてくるのではないかと思っています。

それが何なのかはわかりませんし、予想することは
東京大学のスタンスを考慮するとナンセンスですが…

数学的リテラシー・思考力の養成につながるのは、
「無駄に長い謎の会話」ではない…こと明示するもの
(某テストに対するアンチテーゼ)

「三角関数」を学習しないことは科学立国である我が国の危機となる
…ことを明示するもの(某不要論に対する、アンチテーゼ)

あたりを問題を通して一石を投じてくるのではないかと願っています。