近日、高校では三角関数よりも金融経済を教えるべきだ
とおっしゃる方がいて話題になっています。
私個人としては「個人主義」が極端になっていると感じます。
「『私』が使わないから一般的にみんな使わないでしょう」
みんなの役に立たないんでしょう…と思っているのでしょうか?
おっしゃっている方が文科系の方で、文科系の話題(経済)ですから、
政治経済の時間に「金融経済」を組み込めば良いのではないかと思います。
政治経済の時間だけでは足りないのであれば、
同じ文科系の科目である古文・漢文の時間を政治経済に移せばよいと思います。
文科系の方の中には、一定数数学に恨みを持っている方がおられるので
コンスタントに復讐したいという思いがにじみ出ますが、
感情論で物事を発言したり、進めることには感心しません。
私が使ったことがないからいらない…という発想で物事を考える場合
私は文科系自体が危ぶまれるのではないかと思っています。
なぜなら、古文の未然形接続の助動詞
『る・らる・す・さす・しむ・ず・じ・む・むず・まし・まほし』
連用形接続の助動詞
『き・けり・つ・ぬ・たり・たし・けむ』
なんて拷問のように覚えさせられましたが、社会に出てから1度も使ったことがありません。
今すぐに「三角関数」より「古文の未然形接続の助動詞」が大事
である理由を論理的に説明してもらいたいものです。
もしかすると私が浅学菲才だから使ったことがないだけで、
金融経済に未然形接続が必要で『る・らる・す・さす…』
を毎日のように使っているのかもしれませんが到底想像できません。
そんな例は数多くあり、社会に出てから(世界史で学ぶ)
五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス
を知らなくても困らないだろうし、(日本史で学ぶ)
聖徳太子を「しょうとくたこ」と言っても困らないでしょう※。
江戸幕府を知らなくて困っている人なんて見かけたことがありません。
冒頭の発言(三角関数不要論)をした方は
車の安全な運転の仕方を知ることは大事だが、車の構造は知らなくていい。
電子レンジの操作方法は知る必要があるが、電子レンジの仕組みは知らなくていい。
とおっしゃっているようですが、
安全な車を作るために、車の構造を知っている1人が欲しわけだし
安全に操作できる電子レンジを作るために、その仕組みが分かる1人が欲しいのです。
その1人を作り出すために、1万人10万人…に教育をするのです。
安全に車を運転するだけ、電子レンジを操作するだけなら
高校に行く必要すらありません。
※ 聖徳太子を「しょうとくたこ」と言った生徒が
慶應義塾大学のSFC(の環境情報学部)に合格した物語
として有名なのがビリギャルです。