2019年7月1日(月)~5日(金)にカモンFM(Come on!FM)の
『30万人のドラマ ~あの人に逢いたい~』に出演しました。
当日の内容をこちらに再現してみました(当日の放送のイメージです)。
尚、パーソナリティの米倉奈津子さんは6月でCome on!FMをご卒業されました。
2019年7月1日(月)後半「高校時代」
数学教官としてご活躍にされているわけですが、
1時間30分ほどかかった高校時代を経て、大学はどんなところを目指されたのですか?
私は、東北学院榴ケ岡高校という宮城県にある東北学院大学の付属高校に通っていました。東北学院大学はこの近辺で例えると福岡大学のような総合大学です。そのため、高校入学当初は、推薦で大学に行くことを希望していました。
エスカレーター式で大学に行くことを希望していたのですね。
はい。ただ、私自身高校1年生の時、成績があまりよくなかったので、なんとか推薦枠に入れる程度だったと思います。
そうなのですか?
同学年には300人ほどいましたが、高校1年次の中間・期末試験の成績はだいたい150番から200番くらいで、説明するのが一番大変な可もなく不可もなくといった感じでした。そんな私が、高校2年生になってすぐ転機が訪れました。
何があったのですか?
肺炎にかかって1か月ほど自宅療養になったのです。
150番から200番くらいの成績の人間が自宅療養で1か月間授業を受けないと、どうなるのかというと、全く授業についていけない状態になると思います。
もちろん、そうですよね。
案の定、肺炎が治って高校には通えるくらい健康になったものの授業に全くついていけないという状況が続きました。
「これはヤバイ。付属校にいるのに推薦枠に入れなくなってしまう」と焦りまして、この焦りが勉強をするきっかけになりました。
中間試験まで1か月ほどあったと記憶していますが、その期間は1日10時間近く必死で勉強しました。
それはがんばりましたね。
推薦枠が無くならないように、という理由でしたが…。
おかげで中間試験までの1か月間、一夜漬けのような勉強をずっとしていたので、高校2年生始まって初めての中間試験では学年で6番(クラス1番)になりました。
これが、高校2年生になって初めての中間試験での成績だったので、周りの人間が良い意味で勘違いしてくれました。「肺炎でやすんでいたアイツはできるらしい」と。
そんなとき、クラス2番(学年で10番くらい)の友人が「佐々木君はどこの大学を目指しているの」と聞かれました。
別の大学を目指していると思われたのですね。
そこで初めて他の大学を目指してみようと思いました。
そこからなのですね。「東京の大学に行くぞ」という形で夢を持たれたのですね。
はい。ただ外部の大学を受験することを考えていなかったので、大学のことが分かりませんでした。そこで大手の予備校「代々木ゼミナール」に行きました。
そのとき、たまたま「サテライン夏期公開講座」という無料講座をやっていました。
サテラインというのは、東進やリクルートがやっているスタディサプリのようなビデオ授業です。今は珍しくないと思いますが、東京で人気のある講師の授業を宮城県で受けられるというのは当時、画期的なものでした。そこで東京の人気のある講師の授業を受けてみて、感動したんです。
授業を受けて感動したのですね。
はい。次の授業を受けてみたい、速く受けたい…という知的好奇心のようなものを初めて感じました。そこで、授業を通して感動を伝えるような講師や先生になりたいと初めて思う様になりました。
憧れが生まれたわけですね。
そこから、大学は数学科を目指すようになりました。予備校の講師のように知的な感動を教えたい。面白さを教えたいと思ったので、そのためには学問の背景知識が必要になると思ったからです。
このお話の続きは明日お送りしようと思います。
今週のゲストは防衛省海上自衛隊小月教育航空隊数学教官の佐々木淳さんです。
明日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。