因数分解って何の役に立つんですか?
とか
因数分解って社会に出てから役に立たないのに何で勉強するですか?
って、定期的に話題になるんですが、世間の人は忘れられないくらい数学に恨みがあるんですかね?

ともあれ、私がこういう質問をされたときには、次のように返すようにしています。

役に立つor立たないの前に1つ聞いていいですか?
まず因数分解って何ですか? 因数って何ですか?

「因数分解って何ですか」って聞くと、みんな「あわあわ」してキョドるんです。
ええ。まともに答えられない。
唯一返ってくる回答は「わかりません」で、まともに答えられた人は0人、記録は常に更新中です。

で、答えられない方々に私は更問いするんです。

「『分からないことを役立てよう』って思いますか」?…と

アラビア語ってあるじゃないですか?
日本人にとって一番強敵な言語だそうで、当然私も分かりません。
なので、(私は)アラビア語を役立てようなんて、今までの人生で一度も…いや1秒たりとも思ったことはありません。ですが、アラブ人にとってアラビア語は超絶役に立つもの(言語)です。役に立ちすぎる…なんて軽々しい言葉で形容することが失礼なくらい(アラブ人などには)活用されているはずです。

え??何が言いたいのかって。
超絶役に立つもの(この場合「アラビア語」)であっても、分からなければ使わないって事実です。

で、もう一度聞きますね。
因数分解って何ですか?

え?まだ、分からない。
因数分解が分からないくせに、因数分解は役に立たないってレッテルをお張りになる?
そんなこと今時、偏差値が低い愚連隊でもやりませんよ。

で、話を戻して
こういう質問をする人って、基本的に「嘘つき」で「言い訳」と「責任逃れ」をしていると思うんです。

というのも、おそらくこういう質問をする人が求めているものは「役に立たない」という「お墨付きの回答」で、それを手に入れることで、「勉強しない」ための「体の良い言い訳」が出来上がるからです。

もし仮に「勉強していない」ことを誰かに指摘されたら、○○さんが「役に立たない」って言っていたから「勉強していないんだ」って『言い訳』ができる。こんな安くて何回も使える言い訳…使わないわけにはいきません。

スナック菓子を食べるのが「やめられない、とまらない」ように、言い訳が「やめられない、とまらない」
こうやって今日も日本の至る所で「言い訳のファンタジスタ」が爆誕するわけです。

いつまで経っても、いい年になっても「勉強をしない理由を誰かのせい」にして責任逃れをする。」
とれる責任くらい自分でとろうぜベイべー
「こどもでしょうか?…いいえ厨二房で言い訳のファンタジスタです」

勉強をしたくないなら「勉強をしたくないです」ってはっきりと言えばいいだけの話で、「◯◯は役に立たないので、勉強しません」とか、ぐじゅぐじゅ・ネチネチ言い訳をくっつけるから訳がわからなくなる。
当人は、「勉強をしない」説明を論理的にしたように思えるかもしれませんが、言い訳を聞かされている側には「言い訳をしている卑怯者」にしか見えませんので、悪しからず。

で、またまた話を戻して
学問、その中で特に研究で重要になるのは「問いの立て方」ですが、冒頭の質問に対して私が「言い訳」と「責任逃れ」と思うのは、問いの立て方が間違っているからです。

因数分解って何の役に立つんですか?
因数分解って社会に出てから役に立たないのに何で勉強するですか?

じゃなくて

因数分解を「役に立つ」ものにするために、どう勉強するべきか?
因数分解を社会に出てからどう活かすか?

とするべきでは?
「因数分解って何の役に立つんですか?」って、『誰かに答えを教えてもらわないと動かない指示待ち人間』になっていますから、取れる責任は自分で取るくらいの積極的な人間になることの方が大事な気がする。

追伸:私が大学受験生や大学生だった時代の学問の批判の的は数学でしたが、最近は、古文・漢文不要論なんてのもあるらしいですね。なお、私は古文・漢文なんか勉強しなくていいだろ…と思っているタイプの人間ではありませんが、古文・漢文は数学より役に立たないとは思います。