小松彦三郎先生が2022年10月2日に87歳で他界されたことを
東京大学の河東泰之先生のホームページで知りました。

私が理科大3年生だったとき、小松彦三郎先生に『積分論』を習いました。
ただ講義を受けるだけなら、普通はそれほど強くは記憶に残らないものですが
私はあのときの出来事を諸事情で一連の流れとして記憶しています。
そこで今回は小松彦三郎先生にまつわるお話をしたいと思います。

小松先生は「佐藤超関数」の功績で有名ですが
長く東京大学で教鞭をとられ、優秀な数学者を育てたことでも有名です。

東京大学を定年退官された後、東京理科大学で10年間教鞭をとられました。
小松先生が東京理科大学で担当していた『積分論』はLebesgue積分を扱う講義で、
内容も学部生にとっては相当ホネのある分野ですが
それが小松先生の手に係ると、さらに高尚で理解が追い付かないことがしばしばでした。

そのせいもあってか、私のときは受講生の数が公比1/2の等比数列のごとく減少し
4,5回目くらいから受講生は1桁になってていました。
解析を専門にする人ならLebesgue積分は必要でしょうが、みんな諦めてしまったようです。
本来必要な、関数解析、偏微分方程式の研究室に行った同級生もほとんどがいなくなりました。

気づけば私が1人だけ前の方に座ることになってしまい、
小松先生に「前回どこまで進んだかノート見せて」と言われ、毎度見せていた記憶があります。
そして、席が前だったためよく当てられましたが、正直答えられた記憶なんてないです。はい。

私は最後まで受講していましたが、授業中に理解…なんてことはできず、
図書館で書籍を色々当たっても克服できず、試験を迎えた記憶があります。
恥ずかしい限りですが、それが当時の私のありのままの姿・ありのままの現実です。
そのため、試験の出来はさっぱりだった気がするのに
成績はA(当時AAはない)だったのは今でも謎です。
(もしかすると、試験を受けたらAだったのかもしれませんが…。)

私が積分論の講義を受講していたときは、
小松先生がとてつもない大家であることを知らなかったのですが、身をもって知るときが訪れます。

その場所はS〇Gという新宿にある某科学的教育グループの講師室
大学3年生の頃、前々から興味があった科学的教育グループのS〇Gの授業を見てみたい
…と思っていたところ、夏期には社会人向けの講座があること知り、受講しにいったのがきっかけです。

『フーリエ解析入門』の授業を受けた後、講師の高橋太先生(現:大阪公立大学)
と話をするために講師室に行き、色々な話をしたところ、他の東大数学科卒の講師も話に入ってくれて、
私が理科大生だと知ると「小松先生は元気にされていますか?」と尋ねられました。

「ええ、私は積分論の授業を受けていますが、ニコニコしていますよ」
と答えたところ、東大数学科出身の先生が一同に震えて上がっていたのを今でも覚えています。
(当時S〇Gで受けた講座はこちらです。)

というのも、東大当時の小松先生は、ニコニコしていたのは変わらないのでしょうが
叡智が集まった東大数学科(現在は数理科学科)の学生を、ゼミ中には鋭い質問で血祭りに上げる
ことで有名だったそうです。(参照はこちら

S〇G講師室では、小松先生の流儀である「セミナーは何も見ないで発表する」という話題も伺いました。
詳しいことは「新・数学の学び方(岩波書店)」に「暗記のすすめ」として記してありますが、
東京大学の河東泰之先生のホームページ「セミナーの準備のしかたについて」にもあります。
「新・数学の学び方(岩波書店)」には、河東泰之先生の記事「時間をかけて,深く」もあり、
小松彦三郎先生の名前も登場します。
数学の学び方

「セミナーで何も見ないで発表する」のは相当大変ですが、とても素晴らしい方法だと思ったので、
私が数学のセミナーで発表するときはこの方式で準備していました。
そのおかげなんでしょうか、本,ノート,メモを「見ながら」授業をするのが苦手になりました。
代⚪︎ミの⚪︎野先生は、メモを見ながら講義されますが、
私にはできないので逆に器用に見えてしまいます。

話がいろいろ発散して回収できない形になりましたが20代の前半、神楽坂で過ごしたあの瞬間は
今でも鮮明に覚えているほど、かけがえのない日々だったんだなぁ〜と思う今日この頃です。

某科学的教育グループで受講した講座
フーリエ解析入門(高橋太先生:現、大阪公立大学)
ゲーム理論入門(尾山大輔先生:現、東京大学)
ガロア理論入門(雲孝夫先生:現、駿台予備校)、
バナッハ・タルスキーのパラドックス(大澤裕一先生:現在もS〇G)
トポロジー入門(田所勇樹先生:現、木更津高専)、
eの超越性(社長:現在もS〇G)、
ゼータ関数入門(木村浩二先生:現在もS〇G)