昨年に引き続き、対面開催の「数学教育高大連絡協議会」に参加のため目白駅にある学習院大学に来ました。協議会が早朝から始まる関係で前乗りして関東方面に来たんですが、いつも出張時に使う定宿が埋まっていたので、今回は池袋に泊まりました。
大学時代に埼玉に住んでいた私がしょっちゅう通い詰めた「埼玉県民の街『池袋』」です。
そうそう、山手線で池袋駅着いたとき、電車の発車メロディが「ビックカメラ」になってましたが、昔からそうでしたっけ?
不思議な不思議な池袋〜 東が西武で西東武
高くそびえるサンシャイン ビックビックビックビックカメラ!!
あ、ちなみに私が埼玉に住んでいた大学生の頃は(今はなき)「さくらや」派でしたが…(出身の仙台に一時「さくらや」があった関係)。
前置きは長くなりすぎましたが、「数学教育高大連絡協議会」ですが「規約上」内容は書けないので「数学の誤答を分析・研究している」一個人として、数学の記述式答案について普段、思っていることを書こうと思います。(あ、なので大学受験に関するお話しではなく、広く一般的に思うことです)
数学といえば、記述答案が特徴ですが「なぜ記述式であるのか?」って考えられていない気がします。
「コスパ・タイパが大事」って耳にタコができ倒して麻痺しているくらい聞いている時代に数学の試験は「途中式をワザワザ書かせる」記述式なんですよ。テストの受験者は答案を記述をするのが大変…って思っていると思いますが、私の感覚では採点の方がはるかに大変です。こんな大変こと、今すぐ辞めたい…って思っている人もそれなりにいるはずで「記述でなければならない理由がない」んだったら、マークシートや答えだけの回答形式に早変わりしているはずです(しつこいですが、そっちのほうが楽なんです)。
ただ、そんな面倒すぎて、今すぐにでも辞めたい記述の採…いや、失礼、採点が大変であることを承知の上で、記述形式の試験を問うているわけですが「記述式の意図が絶望的に理解されていない」から、学生の答案は大体「数式の羅列」になっていて、読みにくい・わかりにくいものになっていたりします。
それでは、記述にした意図が損なわれますから、学生に「日本語による説明を入れてね」ってお願いすると「説明って書かないと減点ですか?」って問い返される。あ、そうそう高校の数学教員にも「説明って書かないと減点ですか?」とか「数式の羅列でも答えがあってるんだったらいいんじゃないですか?」って言われたことがある。
そしてこれらの質問は最終的に「減点されないために、必要なことだけ教えてくんない?」という地獄に着地する。
う〜〜ん、なんで、そんなにマニュアルを求めたがるのかねぇ? 問題を見ないと、答案を見ないと「数式だけで良いのか否か」なんてわからないし、採点って生モノですから、そのときになってみないとわからないのにねぇ。
それに…こういうときはこれを書いて…みたいなマニュアルばっかり作ると、マニュアル大好き・指示待ち人間が”あれよ・あれよ”という間に爆誕する。それじゃあ困るんです。誰が困るって…みんなが…ですよ。
あ!!そうやってできあがったのが「書けば減点されない魔法のおまじない『一次独立』」だな。あの魔法(一次独立)はあまりに強すぎて「一次独立って言葉は、どのタイミングで書けばいいんですか」という「理解していないけど、テストの点は満点欲しいっす私」みたいなテストの意味をぶっ壊す質問まで飛び交っちゃうほどの破壊力。この手の質問は何度受けたことか…。まぁ『一次独立』って面白いもので、文系の学生でも結構知っていたりする。で、「一次独立って何」って私が聞くと異口同音「減点されないためのおまじない」って返ってくる。数学の授業でスピリチュアル満載な回答が返ってくるなんて、先生という職業に就くまで無かったことで、あまりに衝撃的だったんですが、そんなスピ回答をした学生はガチな眼差しで「学校でも塾でもそう習った」と言ってくる。なんて純粋無垢なんだ、naturalとはこういうことか…と、感心しながらも冷静になって振り返ると…
「おまじない」を使えば「答案は減点されない」んでしょうが、それでいいんですかねぇ?(あ、もちろん文末の疑問文なので「反語」ですよ)
で、記述答案で何を見たいのかっていうと、記述を通して「論理がしっかりしているかを見たい」わけです(あ、あくまで私は…です)。最近では、それに合わせて「誤魔化していないかを見たい人」もいそうです(要は全然わかっていないけど、テストだけは満点が取れるって輩を排除したい)。
しかし実際の答案は「数式の羅列」が多くて、論理の「ろ」の字すら見ることができないのが現実だったりします。誰かが「数学の答案に日本語は不要」とか、教えているんじゃないかな?と疑いたくなるほど…。もしかして「大学教員なら数式の羅列で分かるだろう」とか思われているのかな?ひどいとDAI語の連発なんてものもある。
かつては、意味不明な数式だけが飛び交う答案を「私の芸術性のなさから理解できないもの」と判断して「ゲルニカ」って呼んでいましたが、芸術性云々の問題ではなく本当に意味不明で突然キレだす答案だと気づいたので、最近では数式だけの答案を「BreakingDown」と呼ぶことにしています。
ともあれ、肝心の論理的な部分がわからない答案が多く見受けられるのは困ったものです。
長くなってしまったので、続きはこちらで…
続きはこちらで…はオヴシアンキーナー効果です。
Maria Ovsiankina(1928).”Die Wiederaufnahme unterbrochener Handlungen
Psychologische Forschung, Band 11 (3/4), S. 302–379
Oliver Weigelt, Christine J Syrek(2014).”How Supplemental Work during the Weekend May Contribute to Recovery in the Face of Unfinished Tasks”