大島 保彦 × 渡辺 祐真 受験勉強から考える「学び」の方法〜勉強を楽しむために〜を現地参加してきました。現地には、未来学力トライアングルのお二人(雲K師、霜師…ともに駿台講師)もおられました。
場所はPASSAGE SOLIDAの2階で、PASSAGE SOLIDAは個々人が本屋の棚を契約して商売できるタイプのお店です。

あ、いちおう結論を言っておくと、”受験勉強から考える「学び」の方法”というタイトルなんで、ちまたで流行りの「コスパのいい勉強法」なんて1度も語られなかったです(私にとっては、それが目的ですが…)。
勉強法を語る実用書が「非効率」とバッサリ切っちゃうような勉強法だけが語られた…そんな感じです。まぁ〜最近の勉強本が提唱する勉強法の中には「テストの点さえ取れればそれでいい」という主義や「よくわかんなくても、テストの点だけは取れちゃう」みたいな方法が主に紹介されている書籍がそれなりにあって、個人的には嫌だったりもするので…。

そういう勉強法って学んだことが活かせないと思うんです。私は純粋数学出身なので、実務上で使う学問(実学や工学など)の発想に躊躇していた時期が長かったんですが「実務を通して理解が深まることもある」って実感して、考え方が変わりました。こういう考え方が変わるってこと(要は「気づき」)も勉強の1つですよね。

話は戻して…大島師が駿台予備校で講師を始めたのは1984年(同期は数学の小林隆章師)だったそうです。で、当初は真面目・禁欲的に授業をしていた…と思っていたら1年目からやりたい放題・雑談をしていたそうです。記憶は都合よく捏造されるってやつですね。(参考:選択盲、ロフタスの自動車事故実験)
以下、一部箇条書きになりますが、内容をツラツラと書きます。

【大島師】考える速度と喋る速度を比較すると、考える速度のほうが速いので、聞きながら別のこと(脱線)を考えてしまうのが自然。だから「人の話を聞かない」という現象はむしろ自然
(大島師の神髄といえば「脱線」で、脱線に次ぐ脱線の話題には事書きませんが)師曰く「脱線に次ぐ脱線が本流」なんだそうで、師は人の話を聞くときに、脱線をしながら聞いているそうです、ちゃんと聞いたら寝ちゃう。だから脱線しながら聞いているのだとか(個人的には、今回のトークを聞きながら「大学の講義は脱線にこそ価値がある」のでは…と)。
合格体験記はあるが不合格体験記がない、両方がわからないと実態(勉強法の適切さや効率など)は浮かび上がらない(この意見は完全に同意)。似たような話は今井むつみ氏の書籍『学力喪失』にある記号接地問題に関係(「赤」と「ピンク」の件)する気がする。なお、脱線ですが、AI界隈の方は「記号接地」をカタカタの「シンボルグラウンディング」で言います。
かつて冬期講習のA期間(講習がスタートする期間)で「モンテ・クリスト伯(全部で7冊)」を大学入学後の楽しみに…として紹介したら、受験直前期にして「モンテ・クリスト伯」を「フライングで」買う受験生が大量に現れる。(受験直前期の行動としては不正解なのかもしれませんが、学問をやる人の行動・本能としては正解ですね。最終的には、こういう「好きでやる」っていう人には敵わないんですが…)
その他キーワードとして、西江 雅之氏の『わたしは猫になりたかった』と「ダブル時間割方式」
予備校のテキストは参照軸、本当は辞書で授業をしたい。
(独り言)さっきからイベントのツラツラ書いているけど…ん?勉強法のことを一切書いていないぞ…振り返れば「脱線」だらけじゃないか…いや、むしろ大島師のイベントはそれが目的・本流に違いない。

話は戻して…ある年の京大受験クラスの話…大島師が「教材を真面目にやっていた」ところ何人かが直訴をしてきたそうで

「教材を進める大島先生なんて痛々しくて見ていられません。私たちはプリントがあれば自分たちでできるので、先生はやりたいように授業をしてください」

と言われたそうです。前後数年でそのクラスの京大合格率が一番良かったんだとか…。(まぁ〜ある意味「教えない授業」の真髄がここにあるのかもしれない。)
そんな大島師の緻密なプリントは「授業で自分を自由にするため」に作られて、師は「事務作業が好きな」なことも相まってプリントが緻密になっているのだそうです。「事務仕事は絶対片付く」からいいのだと。「折って閉じる・折って閉じる」という単純作業だとしても、努力した成果物が確実にそこにはあるから…。

勉強っぽいことも語っていました。

「方法に良し悪しはない。良い方法を不徹底にやるよりは、悪い方法を徹底してやる方が、結局最後の意味においてはそれが好い方法なのだ」
関口存男著作集

解説:関口先生の語学教育における実践的な姿勢を示しており、完璧な方法を求めすぎて行動が止まるよりも、不完全でも継続できる方法を重視すべきだという信念が表れている。

またまた、話を戻して…大島師は語学の勉強は「文を覚えること」で学んだそうです。(私も高校生の頃は片っ端から英語の教科書を丸暗記したなぁ〜。あ、おかげで高校の英語の試験はいつも上位で、帰国子女の同級生よりも上でした)
速読をありがたがっている人は、本当に面白い文章を読んだことが無い人なのでは? 面白い本を読んでいたら結果的に速くなる。もちろん速読法がダメなんではなくて、スキルには意義があるが…。