(画像はイラストACから)

数学という科目は好き・嫌いがはっきり分かれる科目ですが、嫌いになる瞬間ってパターンがあると思います。要は理不尽なんですが、その中の1つに採点があるのではないでしょうか?

数学の採点は、東京大学の河東先生が著書『数学者の思案』で次のように述べているように採点者の趣向が大きく表れます。

「数学は答えが一つであり、採点は容易と思っている人が多い。しかし、まったくそんなことはなく、採点はもっとずっと主観的なものなのだ。(中略)採点者個人の考え方の違いが出てくる
引用:『数学者の思案』(p.54)、河東泰之(著)

しかし、人によって採点が異なることで、その中に納得のいかない採点があってそれが「数学を嫌いになるトリガー」になったりします。
そこで今回は、数学の採点の中で「納得がいかない点」で盛り上がっている内容について考えてみたいと思います。
話題になったのは(学校の試験:定期テスト?における)次の問題の採点です。この問題は、この記事の一番下にある投稿の引用です。

\(I=\displaystyle\int x\sqrt{x^2+1}dx \) を計算せよ。(積分定数は \(C\) を用いよ)

採点は

\(I=\displaystyle\frac13 \left(x^2+1\,\right)^{\frac32}+C \) は減点△
\(I=\displaystyle\frac13 \left(x^2+1\,\right)\sqrt{x^2+1}+C \)は満点〇

だったそうです。

もちろんこれだけ見ると採点に不満がでてくるのでしょう。その真っ当な不満を先生に伝えることも必要です。ですが、このようなことを議論するときには、考えるべきことがあります。

まずは、前提条件。科学には必ず「前提条件」がありますが、人間って基本的に前提条件を意識しないのでよく忘れます。(注:心理学でいうと選択的注意というものがあって、重要と思う情報に集中してそれ以外は素通りされます。「バスケ中を横切る某動物」の実験が有名です。)
もしかするとこの問題には「\(t=\sqrt{x^2+1}\) や \(t=x^2+1\) と置換積分しなさい」っていう前提条件(*)があったのに、答えだけを記述したのかもしれません。

(*)このような不毛に思える前提条件を付与するのは、意味も分からず

\(\displaystyle\int x\sqrt{x^2+1}dx=\displaystyle\frac13 \left(x^2+1\,\right)^{\frac32}+C \)

を丸暗記する人間もいて、その丸暗記による正答を排除したい…と思う先生がいるため…と思われます。

X上では、この情報だけで「採点がよくない」と述べている人が多いようですが、実際の答案に記載されている問題を見ない限り、正しい議論はできません。つまりこれだけの情報で議論することは科学的ではありません。要は「数学的に正しい」と「答案として正しい(問題にきちんと答えている)」が一致しないことがある…ということです。
それなのに欠席裁判で採点した先生を集団でSNS空間でタコ殴りにするのはどうなんでしょう。「正しさ」という名の正義を人質にとった暴力になっている気がします。

あと、この問題を減点した先生一人の裁量で、採点の満点・部分点を決められたのかが気になります。
高校などの学校であれば、複数の先生がいて、それらの先生によって(または独裁者の先生によって)、採点が決まっているのかもしれません。つまり、減点をした先生本人は納得していないけど、他の先生と合わせないといけないため、そうしたのかもしれません。(それがいいとは思いませんが、そういうこと[人間関係]が嫌で、先生という職種を辞めたり、退職する方って多かったりします。)

私が自衛隊数学教官をしていたとき、先輩の数学教官のある方は、自分のやり方にあっていなければ数学的にあっていてもすべて×にする独裁者でした。
例えば、3次関数のグラフを描くときに増減表を書いたら×、内積の記号で「・」を使ったら×など。数学的に明らかにおかしい理不尽な採点があったので、採点について相談をしたところ「新人の分際で俺様のやり方に立てつくな」と、大勢の人(自衛隊なのでここでいう「人」は「隊員」です。)がいる前で怒られた記憶があります。今でいえばパワハラ以外の何物でもないですが、そういう人ってそれなりにいます。なお、そういう自衛隊の数学教育における変な制度(採点を含む)は、私が在職中に片っ端から変えていったので、今はないと思いますが…。

ともあれ、本当に理不尽な採点というものはあって、理不尽な採点できっかけで数学に嫌気がさす人もいますから、それを減らすように草の根で行動することも大切ですね。

話題は下の投稿からです。