2019年7月1日(月)~5日(金)にカモンFM(Come on!FM)の
『30万人のドラマ ~あの人に逢いたい~』に出演しました。
当日の内容をこちらに再現してみました(当日の放送のイメージです)。
尚、パーソナリティの米倉奈津子さんは6月でCome on!FMをご卒業されました。
2019年7月2日(火)後半「大学生後半~代々木ゼミナール講師・海上自衛隊数学教官」
大学卒業後の進路はどう考えていたのですか?
大学では、結構早くから数学に躓いて劣等生でした。そのため1、2年生の頃は進路のことを深く考えていなかったです。
え?そうなんですか?
はい。大学3年生になってから周りにあわせるように就職活動を始めました。ただ、せっかく大学に入ったのだからと、数学の勉強もじっくりやろうと思ったんです。
そこで、就職活動をしつつ図書館にこもって数学の本を専門書や一般書をじっくり勉強し始めました。就職活動はうまくいきませんでしたが、図書館にこもって勉強をしていたら、躓いていた大学の数学も少しずつ理解できるようになっていったんです。
そこで、やはり数学をもっと知りたいと思うようになりました。そこで初めて大学院に行きたいと思うようになりました。
佐々木先生は、お話を聞いていると努力の方ですね。もっと勉強したいといって、どんどん積み重ねていっているのをすごく感じます。東北大学の大学院を経て、そこから就職したのが憧れを作った代々木ゼミナールなのですね。
そうですね。確か、代々木ゼミナール仙台校の講師として採用されたのは8年ぶりで、運よく採用されたと思います。ただ代々木ゼミナールの講師になったものの、講師1日目に教室に入っていったらびっくりしたことがあったんです。
え、何があったのですか?
代々木ゼミナールは、私が浪人生の頃でもクラスに100人くらいの学生がいたのですが、私が講師1年目の2005年に初めての行ったクラスは20人くらいしかいませんでした。
100人以上いると思っていた人数が20人位だったのですか?
はい、どのクラスにいっても、そのくらい少ない感じでした。教室自体も少人数に合わせるように縮小されていました。少子化であることは理解していたのですが、ここまで急激に人数が減っていることに驚きました。
ご自分が受けられたときに比べて年代に差がある分、それだけ生徒が減っていたのですね。
そうですね。そして私が講師に採用された年(2005年)に、代々木ゼミナールが傾き始めていました。
地方の校舎を閉鎖するというのが、ニュースにもなりましたよね。
はい。私が採用された年の10年後の2015年に27校舎中20校舎が閉鎖されました。2005年当時から、その予兆はありました。私が入って3か月くらいした時に、代ゼミの講師の給料が全員下がったという噂を聞きましたので。
人気講師で、すごく高給取りの先生方もおられましたね。
そうですね、いました。講師の給料が全員下がったという噂を聞いたときに、自分が10年20年と講師を続けるのは厳しいかなと思い、他の講師が授業の準備をやっている横で、他の職業を探していました。
せっかく代々木ゼミナールに入ってはみたけれど…ですね。やはりそこでも、代ゼミで教えながら、教える仕事を探していたのですか?
そうですね。私が代々木ゼミナールを志願したのは、多くの学生に教えたいというのが、まずありましたが、教えることに専念したいという理由もありました。代ゼミのように教えることに専念できる職場を探しました。実は、代々木ゼミナールと並行して東京アカデミーでも公務員講座の講師をしていて…
東京アカデミーでも数学を教えていたのですか?
はい。数学を教えていました。他に、公務員試験で問われる数的処理という数学に似た知能試験のようなものも教えていました。ある日、東京アカデミーの講師室の隣にある事務室に行ったら、防衛庁職員採用試験と書かれたパンフレットのようなものが置いてありまして、気になってパラパラめくってみたんです。そのパンフレットの募集に海上自衛隊数学教官があったんです。
あまり聞かない職種ですね。
そうですね。あまり聞かない職種なので興味が湧いてきて「面白そう」と思ったんです。そこから受験し採用され今に至ります。
そこから、現在の防衛省海上自衛隊小月教育航空隊数学教官をなさっているんですね。という佐々木淳さんが今週のゲストです。お話の続きはまた明日お伺いします。明日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。