知人の先生の投稿を見ていたら次の問題が「東大理三・京大医学部(京医)が即決できなかった問題」として取り上げられていました。
出典:メタスキリング
即答ができなかっただけで、東大理三・京大医学部(京医)学生はこの問題をきっと解けたんでしょう。
ただ、何でもかんでもコスパ・タイパが重視される現代なので、即決に価値が置かれる雰囲気は分からなくもないんですが、即答に価値があるのかなぁ?とちょっと思った次第です。
むしろこの問題は、即答できるより、即答せずに云々考えることのほうが「価値ある」学びにつながるのでは…と思います。
もちろん即答(面積を使うなど?)も、センスがあって面白い部分はありますが…。
なぜ2つの解が出てくるのか?など…理由を「図などを用いながらじっくり考える」のもいいと思うんですけどね。これの答えなんてググればすぐに出てきますが、0(不正解)から1(正解)にするように知識を注入するのではなく、考えながら0から1に近づける方が大事だと思うんですよね。
こんなやり取りをしていたら知人の先生が、次の資料を教えてくれました。
知人の先生が言ってましたが「こういう題材を探究するのは高校にもよりますよね」というのは、その通りで生徒に状況に合わせる必要はありますが、探究的に学ぶという観点でもできるなら扱ってもらいたい題材だなぁって思いました。
近年の高校の探究は素晴らしいんですが、(学会の発表を見ていると)凄すぎて私が「ちょっと引いてしまうもの」もあるので、こういう素朴なものをじっくり扱ってもらえないかなぁ…と、あ・ついついボヤいてしまいましたね。
要は高級料理(凄い探求)もいいんですけど、冷蔵庫にある食材で作る未知の美味しい料理(身近にある題材の探求)もいいと思うんです。
この内容は2次方程式が登場するので難しいと思われる部分はあります。
まぁ授業はナマモノ・真剣勝負ですから、難しいと思われることもそりゃあ・あると思いますが、そういう教員側の試行錯誤も(教員の)探求で、大事なんだと思います。
失敗を許さない雰囲気って、ドンドンなくしていって、積極的に失敗しながら「フィードバック」を通して、正解に近づける行為が、学問のみならず社会に出てからも価値のあるものになると思うんですよね。そんなことを思った今日この頃