私が大学受験生だったころ、偉人の名言・格言に何度も救われた記憶があります。
最近は名言・格言をあまり見にしなくなったなぁと思っていたら、太宰治の名言が目に飛び込んできたので紹介します。
(追伸:知人の高校の先生方は、結構引用されているようです。)
今から80年以上も昔の1942年に刊行された『正義と微笑』に登場する英語教師黒田先生のセリフから。
「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。
植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。
日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。
何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。
覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。
学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。
そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。
君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。あっけないお別れだけど、男と男だ。あっさり行こう。最後に、君たちの御健康を祈ります。」すこし青い顔をして、ちっとも笑わず、先生のほうから僕たちにお辞儀をした。引用:太宰治『正義と微笑』(青空文庫) (赤字は執筆者による)
刊行から80年以上も経っていますが、現代の私たちに警鐘を鳴らす内容になって心が震えました。
特に時代背景を考慮すると、こんな思想は中々出てこないし、文章にできないと思います。
作中の黒田先生も太宰治も、現在のカテゴリに無理やり当てはめると文系の人物になりますが、文系の人が言う数学の重要性って、なぜか心を打つんですよね。(調べたら「黒田先生の名言」は定期的にバズるらしいです)
なお、私はほとんど小説を読破したことが無くて(*)、読破した小説は『坊ちゃん』、ライトノベルは『涼宮ハルヒの憂鬱』くらいです。
* 破天荒フェニックスのようなビジネス(の棚に置かれる)小説は除く
追記:作中に出てくる「砂金」(のたとえ)は人によって捉え方が異なると思いますが、価値のあるもの(楽しさ、役に立つもの、意味のあるもの)なのかなと思っています。