朝雲新聞に『図解かけ算とわり算で面白いほどわかる微分積分』の紹介が掲載されました。
タイトルは
『海自の数学教官が「微分積分」の書籍を出版 身近な例えで分かりやすく』
(掲載されていたwebページ:http://www.asagumo-news.com/homepage/htdocs/news/newsflash/202010/201001/20100104.html)
です。ありがとうございました。実は、朝雲新聞の掲載は2度目です。
前回は、3年前で『私が読んだこの1冊』で掲載していただきました。
当時紹介した本は『調理場という戦場 「コート・ドール」斉須政雄の仕事論』(幻冬舎文庫)です。
寿司職人の修行期間 “飯炊き3年握り8年”は時代遅れ…のように、
とかく修業が否定され、カップヌードルのように技術をサクッと身に着けばいいだろ
…と言われる現代ですが、本書を読むと技術(テクニカル)以外の重要さが分かると信じています。
技術指導に来ていたフランス人シェフが洗い場で手を洗っていた時に「あなたのお店で働かせてください」と頼み込みました。フランスとぼくをつなぐラインは、そんな細いものしかなかった。だけど、結局はそのツテでぼくのフランス行きは実現しました。
そのシェフは後に、ぼくにこう言ってくれました。
「手を洗おうとすると、いつも洗い場がきれいになっていた。マサオがいつもきれいにしてくれていたのを、わたしは見ていた。それがとてもうれしかったから、雇うことにした」
(中略)
同じ時期にフランス行きをアピールしていた人が、他にもいたとは思います。
しかも、ぼくよりも技術のある人たちはウヨウヨしてた。
だけど、フランス人シェフが見ていたのは、調理場での何でもない掃除だった。
最終的に来るなら来いと言ってくれたのは、ぼくに対してだった。(中略)
毎日やっている習慣を、他人はその人の人格として認めてくれる
この修業が、斉須政雄氏をフランスに連れて行ってくれたのだと、私は解釈しています。
私が、社会人になって1、2年目の頃、
さんざん雑務をやらされましたが、私以外の新人はやりませんでした。
「電話を取るために入ったんじゃない。」
「掃除をするために入ったんじゃない。」
「女だからって言って、お茶くみさせるの?」
私以外の新人は上記の言葉を口にしては、雑用を拒否していました。
後に入った後輩もこの調子、だから私が雑用のほとんどをやりました。
そんな雑用続きの8月、職場にえらい人から電話がかかってきたので取ったところ
「いつも君が電話に出るよね。」
「いつも君がお茶を出してくれるよね」
と、言葉を掛けてもらったことを覚えています。
よく言われることですが、見ている人は見てくれています。
私は、他の新人がやらない雑用をすべてこなすことで、顔と名前を覚えてもらったのです。
私が、顔と名前を思えてもらったのは、誰でもできる「電話取り」と「お茶くみ」をいつもやったからでした。
(なお、この言葉を掛けて頂いた重鎮の方は、昨日引退されました。)
効率を求め、やりたい仕事だけした他の新人や後輩はどうか?
残念ながら数年後「雑用すらできない役立たず」の烙印を押されていました。
「神は細部に宿る」と言われます。
本当に素晴らしい技術やこだわりは目に見えにくいのです。
目に見える技術だけを追い求めて大成するのであれば
修行という制度はとっくに滅んでいると思いますが、
どうやらそうではないようです。
イチロー選手が「ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。」
「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道」
と述べていることに尽きると今改めて思います。