大学受験共通テストの賛否両論、どちらかというと「否」をよく耳にします。
(難しい、意味が分からない、時間が足りない…など)
テストに対して否定すること、文句を言うことは簡単です。
ただし、私は国が行うものを含め10年以上様々な試験を作成してきたので、
作る側は解く側(受験生)やその指導者よりもはるかに大変なことを知っています。
そのことを考慮して所見を述べたいと思います。
(なお、数学警察さんのコメントはご遠慮いただいております。)
また、共通テストの問題の賛否についてのコメントは控えます。

(共通テスト前の)センター試験での合否判定を多くの大学が採用しました。
そこで様々なニーズ(※)が出てきて、そのニーズあれもこれも取り入れるうちに、
処理する量が多いあのような試験になったのかな…と思います。
裏を返せば、色々な方が思っているニーズを取り入れる努力をした試験とも考えられます。

※ ① 大学入試の2次試験の一部を担う
② 統計教育の充実
③ 日常との接点
④ 定量的な問題(計算主体)よりならず定性的な問題(意味主体)

様々なニーズ(※)に対して、私が思ことは
① 共通テストは、各大学の個別学力検査(第2次試験)等の一部を担うことで、
丁寧な選抜をする趣旨があったと記憶しています。
個別学力検査(第2次試験)の一部を担うため、受験生の差が付くよう考慮されたのかなと考えています。

逆に(それまでの)センター試験の数学は、できる学生は満点が当たり前
…のような科目で差が付きずらい試験だったとも考えられます。

共通テストに悪評をしている先生方は、
「私の教え子なら共通テストでは満点を取るのが当たり前」
…と思っていたところ出鼻をくじかれたのかな?と思います。

ただ受験者全員が同じ条件なので、それが不利に働いたとは思いませんし、
差がつく試験になったからこそ有利に働いた受験生もいると思います。
(私が受験生だった年は、数学IAの平均が73.68点と満点続出だったので、
今年の共通テストのように「はっきり」とした差が出る問題の方が嬉しかった…。)

② 現代では統計の知識が必須です。
しかし、大学受験では統計が問われないので、高校の数学の先生は統計が苦手だったりします。

統計が苦手な数学の先生に統計を習っていたら統計が得意にならないので、
高校の先生に統計の勉強を強制的にやらせたい
…という裏テーマがあったのではないか、と個人的に思っています。
実は、理科系の先生より文科系の先生の方が統計を使って詳しかったりします
分散分析や因子分析を知らない高校・予備校の数学の先生はいっぱいいると思っています…有名な先生も含めて)

統計ができないとAIができないので、世界的なトレンドに後れを取ることになります。
(高校の先生に統計を強制的にやらせる一番手っ取り早い方法は
東京大学が統計の問題を出題することだと私は思いますが、可能性は低いと思っています。)

③ 個人的にGoogle先生で検索すれば、日常の接点などは簡単にでてきますが
それをしない人が多いから、試験で強制することで教育の機会につなげたかったのかな?と思います。

④ 現在、数学的な計算はコンピュータがやってくれる時代なので
計算力も大事ですが、計算しかできず数学的な的な意味が分からない
…という状況は価値がなくなってきています。
そのため今までより定性(数学的意味)を意識した作りになったのかなと思います。
ただ定性を求めると、どうしても文章が長くなっているため、
文章の読解が多くなる点と、IAについては定量面もあったので処理が膨大だったとは思います。

追伸:今回共通テストの数学で主に非難の声を挙げている方は
「解法暗記学習」を否定している人が多いような気がします。
理由は「解法暗記学習」の生徒と
「解法暗記学習ではなく、数学の先生が理想とする”考える”勉強法をした」生徒
の成績にあまり差がなかった…からなのかな…と推測しています。

数学の勉強法は、継続できて長い目で結果になければいいと私は思っています。
それが暗記が主であっても、考えるが主であっても、
問題を解きまくるのが主であっても、何でもよいのです。
解法暗記の勉強から始めたけど、色々と問題を解くうちに公式や定理が理解できるようになって
実力がついてきた…という現象は、大学受験の数学の限らずよくあります。

しかし、大学受験(の数学)はそうはなっていなくて(←「解法暗記」=「悪」となっていて)
「考えて・考えて・考えまくる」スポコンみたいな勉強法「だけ」が良しとされています。
その勉強法「だけ」が良いのか精査する時期に来ている気がします。

「考えて・考えて・考えまくる」数学…結局、効果を発揮したのは
「大学受験の問題を解くときだけ」だったね…となると淋しい気がします。